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『国際墨画会』 【エストニア日本芸術祭】と【ポーランド事情】
2005年10月6日
■エストニアTV

 在エストニア日本大使館のご協力で香取琴水会長は、モーニングショウに生出演。エストニア人が神秘的に感じるという「竹」の墨絵を生番組中にデモンストレーション。これが後の日本芸術祭展へのお運びにつながりました。





■エストニアにて

 日本ひいきのエストニア人が、こんなに多いのかと呆れるくらいのご来場有難うございます。「寿司」と「日本酒」は、ここでも大人気。日本から九谷焼のぐい飲みも持ち込んで、すこしでも日本を感じていただく努力をしました。とにかく、デモンストレーションにも朝から並ぶ熱心な方々が多く、また、ご来場の方々の鑑賞ぶりを観るにつけ「世界に広める使命」をあらめて強く誓う次第でした。





オープニングパーティーの模様






日本芸術祭の模様

■ポーランドにて

 第一次世界大戦後、ポーランドの多くのこども達が傷つき、そして健康を害しました。ポーランド人たちは、国の将来を託すこどもたちの行く末を按じて戦勝国の国々に保養を要請しました。それらは、すべて「なしのつぶて」。
 そんな中、日本は手をあげます。ポーランドの国々のこども達は、安息の日々を日本で得たのです。アジアに迷惑をかけてと贖罪外交ばかりに見えますが、ポーランドでは、こども達の未来を真摯に受け止めてくれた徳の国として受け止められています。
 ポーランドの人々が、親日感情を持っているのは、1919年独立を果たしたポーランド国において、シベリア流刑された政治犯や難民ら多くのポーランド人が劣悪な環境にあり、親を失った子供達だけでも助けたいとされた「ポーランド救済委員会」が欧米諸国に援助を求めたが失敗に終わり、最後の救済を日本に求めたとき、援助決定まで17日。その2週間後には、最初の孤児が日本に到着した。1920〜22年の間に765名の孤児が日本で手厚い保護を与えられた。その後も日本人による支援や慰問は絶えなかったという。
 ポーランドの人々は、この善意に対し、感謝と尊敬の念を忘れることがなかった。事実、阪神大震災のあとに、被災児60名がポーランドにまねかれ、あたたかく歓待された。







2006年 展示会開催予定のウッジの市街地風景






ポーランドの首都ワルシャワ市街地風景

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